出生前診断による選別

平成25年5月28日のこの法律コラムで取り上げた裁判につき、先日函館地裁で判決が言い渡されました。この裁判の内容は、裁判所のネットで検索できます(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20140610114405.pdf 函館地方裁判所平成26年 6月5日付判決)。

 

羊水検査の結果を誤って伝えたため、中絶の機会を奪われてダウン症児を出産し、短期間のうちにダウン症に伴う疾患を原因として死亡したとして、両親が、医院に損害賠償の支払いを求めたもので、裁判所は、両親の求めた賠償額の満額を認めました。

 

両親側は、羊水検査の結果、異常が見つかれば、中絶をした可能性が高く、出生することもなかったとして、検査結果の誤った告知→出生→ダウン症による疾患→死亡との間に因果関係があると主張し、両親が、中絶の機会を奪われたことによる慰謝料のほか、生まれてきた子の傷害、死亡による慰謝料も、損害の内容として主張しています。

 

しかしながら、裁判所は、仮に、羊水検査で異常が診断されたとしても、中絶するか出産するかは、親の置かれた諸事情を前提としながらも、「倫理的道徳的煩悶を伴う極めて困難な決断」「極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断」に関わるもので、「原告らにおいても、直ちに人工妊娠中絶を選択するとまでは考えていなかった」とし、誤った告知と出生、ダウン症の発症による死亡との因果関係を認めませんでした。

 

また、裁判所は、両親は中絶をするかどうかの選択、生むと決断した時の心の準備や養育環境の準備のための機会を奪われ、告知を受けた検査結果と大きく異なる子の状態による心理的動揺も激しく、現実を受け入れられず、先の養育についても考えることができないまま、我が子が重篤な症状に苦しみ亡くなるという経過に向き合うことを余儀なくされたとして、その精神的衝撃の大きさに対して,慰謝料請求を認めています。

 

両親側の主張は、異常が見つかれば中絶が必至であったとか、ダウン症に伴う疾病や死亡の慰謝料等、ダウン症児として生まれて来たこと自体に対する否定的判断をその中に含むものと思われます。こうした主張が、訴訟技術的な面からやむをえないものであったとしても、両親の真意だったのか違和感を感じざるをえません。しかし、裁判所の判断は、こうした状態におかれた両親の状況を十分理解し、その気持ちに寄り添い、生まれて来た児の立場や尊厳にも配慮した判決内容であるように思います。

 

最近、血液検査で、比較的安く、染色体異常の判定が出来るという新型出生前診断が、反響を呼んでいます。これは、あくまでスクリーニングであり、多くの場合、確定診断のためには、羊水検査が必要となってきますが、異常が確定した人の9割以上は中絶を選択するという調査結果があります。そして、陽性と判定された妊婦のうち羊水検査を受けないまま中絶に踏み切る例もあるという指摘もあります。

 

まだまだ日本では、障がい者を含む社会的弱者に対する社会保障や社会的な支援が十分ではありません。こうした状況下で、効率優先、規制緩和による競争原理の徹底が叫ばれると、少しでも障がいに関わるようなことは避けたいと、確定判断を待たずに中絶する傾向はますます強くなっていくでしょう。

 

少子化が進み、また、世界で一番早く超高齢化社会を迎える日本の有様として、果たしてそれでいいのか、いろいろ考えさせられる事件です。(池田伸之)