相続登記を免れるために相続放棄をしたらどうなるか

前回の記事でご説明したように、相続人は、相続登記が義務となりますが、「相続放棄をした者は初めから相続人とならなかったものとみなす」(民法939条)とされているので、相続放棄した場合は相続登記をする義務はありません(なお、特定の財産だけの相続放棄はできないので、相続放棄の是非については相続財産や負債などを把握した上での検討が必要です)。

今回は、相続放棄した不動産の管理の問題についてご説明します。

 

不動産の所有者は、適切に不動産を管理する責任があります。そのため、その所有する建物が倒壊したり、瓦などが落下して通行人が怪我をしたような場合には、所有者は損害賠償責任を負う可能性が有ります(民法717条1項)。

そしてこの責任は、相続により不動産を所有するに至った場合でも負うことになります。つまり、相続人は、不動産の所有権だけでなく、被相続人の所有不動産を適切に管理する責任をも引き継ぐことになります。

では、相続放棄をした場合はどうなるのでしょうか。令和5年4月に法律が改正されるまで、相続の放棄をしても相続財産たる不動産についての管理責任は免れず、別に相続する後順位の相続人や相続財産管理人に引き渡すまで管理をし続ける必要がある、といった説明がされることもあったようです。しかし、不動産登記法の体系書を著した山野目章夫教授の著書によると、このような説明は「都市伝説である」ということです(「土地法制の改革」有斐閣2022年257頁)。

このような「都市伝説」的な説明がなされたのは、そのようにも読める民法940条1項の条文にも一因があったことから、その規定が改正されました(令和5年4月1日施行)。この改正により、その存在すら知らないような親名義の不動産について、建物倒壊による通行人からの損害賠償責任を負わないことが明確化されました。

詳しくご説明します。

相続人が被相続人と同じような所有者としての責任を負う場合について、改正された民法940条1項では「その放棄の時に相続財産に属する財産を現に占有しているときは」という文言が追加されました。「現に占有」というのは、事実上、支配や管理をしていることをいい、分かりやすい例として、実際に親名義の建物に居住している場合(直接の占有)や家族や従業員等に住まわしている場合(間接の占有)などが考えられます(なお、相続開始時に親名義不動産で居住した相続人が相続放棄までに当該不動産を退去している場合に、現に占有していない・事実上の支配や管理がないと言い切れるかは、処分に過分の費用のかかる家具が残置されていないかなど、ケースバイケースの余地もあるのではないかと思います。)。

このように、直接、間接に占有していた不動産については、従前と同様に相続放棄者として、後順位の相続人や相続財産管理人に引き渡すまで管理をし続ける必要がありますし、相続した建物倒壊による通行人への損害賠償責任(民法717条)を負うことになると考えられます。一方で、被相続人の名義だとは知らないような場合はもちろん、親名義の所有だと知っている場合であっても現に占有していなければ、相続放棄することにより管理責任は免れることができます。

山下陽平

 

相続登記の義務化がスタートしました!

過去に本コラムでも取り上げましたが、令和6年4月1日より、相続登記の義務化がスタートしました。今回は、その内容をもう少し詳しく見たいと思います。

 

1 どんな人が対象となるのか

今回の相続登記の義務化によって、義務が課されることとなったのは、相続によって不動産を取得した人と遺贈によって不動産を取得した相続人です(不動産登記法76条の2第1項)。

遺贈によって不動産を取得した人であっても、その取得者が相続人でない場合には、義務の対象とはなりません。

また、制度が始まったのは令和6年4月1日ですが、それより前に相続や遺贈で不動産を取得した人(相続人に限る)も義務の対象となります。

 

2 どんな義務が課されるのか

基本的義務として、対象となる相続人が、自己のために相続の開始があったことを知り、かつ、その不動産の所有権を取得したことを知った日から3年以内に相続登記の申請をする義務が課されます(不動産登記法76条の2第1項)。

また、追加的義務として、遺産分割協議が成立した場合には、成立した日から3年以内に、その内容に従った相続登記の申請をする義務が課されます(不動産登記法76条の2第2項)。

令和6年4月1日より前に相続が開始していたケースでは、令和9年3月31日まで(不動産を相続で取得したことを知った日が令和6年4月以降の場合は、その日から3年以内)に相続登記をする必要があります(民法等の一部を改正する法律(令和3年法律第24号)附則第5条第6項)。

 

3 期限までに相続登記ができそうにない場合はどうすればよいか

期限までに相続登記に必要な書類の収集が終わらない、あるいは、遺言書がなく、期限までに遺産分割協議が成立しないなど、期限までに相続登記ができない場合には、より簡易な手続きである「相続人申告登記」を期限までにすることで、2の基本的義務を果たしたことになります(不動産登記法76条の3第1項、2項)。この点については、後記5でも詳しく述べます。

 

4 義務違反をした際の制裁はあるのか

正当な理由がないのに相続登記の申請義務を怠ったときは、10万円以下の過料の対象となる可能性があります(不動産登記法第164条第1項)。

もっとも、期限までに相続登記の申告をしなかったからといって、直ちに過料の対象になるという訳ではありません。

まず、登記官は、相続登記の申請義務の違反を把握した場合、違反した者に対し、相当の期間を定めて相続登記の申請をすべき旨を催告します。そのような催告をされたにもかかわらず、正当な理由なくその期間内にその申請をしなかった場合にはじめて、管轄の地方裁判所にその事件の通知がなされ、裁判所が過料の対象とするか否かを判断するという仕組みです(不動産登記規則第187条第1号)。

ですので、法務局から相続放棄の申請をすべき旨の催告があった場合には、必ず何らかの対応をするようにしましょう。

また、上記のとおり「正当な理由」があれば、期限までに相続登記の申請をしなくても過料の対象にはなりません。

法務省のウェブサイト( https://www.moj.go.jp/MINJI/minji05_00599.html#mokuji6 )では、一般的に「正当な理由」があると認められる事情として、以下のようなものが挙げています。

(1)相続登記の義務に係る相続について、相続人が極めて多数に上り、かつ、戸籍関係書類等の収集や他の相続人の把握等に多くの時間を要する場合

(2)相続登記の義務に係る相続について、遺言の有効性や遺産の範囲等が相続人等の間で争われているために相続不動産の帰属主体が明らかにならない場合

(3)相続登記の義務を負う者自身に重病その他これに準ずる事情がある場合

(4)相続登記の義務を負う者が配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成13年法律第31号)第1条第2項に規定する被害者その他これに準ずる者であり、その生命・心身に危害が及ぶおそれがある状態にあって避難を余儀なくされている場合

(5)相続登記の義務を負う者が経済的に困窮しているために、登記の申請を行うために要する費用を負担する能力がない場合

 

5 相続登記の申請義務化に伴う環境整備策

相続登記の申請義務化にあたり、対象者が義務を果たしやすくするため、以下のような制度が設けられたり、措置が講じられたりしています。

(1)相続人申告登記

相続登記の申請をする場合には、被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本等を取得し、法定相続人や法定相続分を確定する必要があります。こうした準備は、相続が何代にもわたっている場合などとして法定相続人が多数に上る場合には期限内に行うことが困難なケースもあります。

そこで、期限内に相続登記を申請することが難しいケースにおいて、簡単に相続登記の申請義務を履行することができるよう、「相続人申告登記」の制度が設けられました(不動産登記法76条の3)。

この相続人申告登記は、申出人自身が登記記録上の所有者の相続人であることを示せば足りるものです。

この登記をすることで、上記2の基本的義務を果たしたことになります(追加的義務の方を果たしたことにはならないので注意しましょう)。

(2)登録免許税の免税措置

相続登記を促進するため、以下の①、②のいずれかに該当する土地の相続登記については、登録免許税の免税措置を受けることができます。免税期間は令和7年3月31日までです。

①相続により土地を取得した者が相続登記をせずに亡くなった場合の相続登記

②不動産の価額が100万円以下の土地にかかる相続登記

(3)所有不動産記録証明制度

登記官において、自らが所有権の登記名義人として記録されている不動産を一覧的にリスト化し、証明する制度が新たに設けられました(不動産登記法第119条の2)。令和8年2月2日からの施行が予定されています。

この制度を用いて、被相続人が所有権の登記名義人として記録されている不動産を把握し、相続登記をするということが想定されます。

 

6 まとめ

令和6年4月1日にスタートした相続登記の義務化は、過去に相続した人も含まれ、多くの人が対象となります。義務を果たさないと過料の制裁もあり、無視をすることはできないものですが、制度を理解して正しく対応すれば過料の対象となることはありません。

相続登記の義務化について相談したいという方は、池田総合法律事務所までご連絡ください。

(川瀬 裕久)

【法律コラム 目次】

 

掲載日 テーマ 執筆者
R6.4.23 相続登記を免れるために相続放棄をしたらどうなるか 山下
R6.4.17 相続登記の義務化がスタートしました! 川瀬
R6.3.15 最高裁判例紹介⑤ 桂子
R6.3.1 最高裁判例紹介④ 伸之
R6.2.15 最高裁判例紹介③ 石田
R6.2.1 最高裁判例紹介② 小澤
R6.1.25 最高裁判例紹介① (遺贈放棄後の相続財産の帰属) 川瀬
R5.12.15 公正取引委員会『労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針』について 小澤
R5.12.1 副業・兼業 これからの働き方を使用者側の立場から見てみると 桂子
R5.11.15 副業・兼業について(労働者側の注意点) 山下
R5.11.1 フリーランス保護法(正式名称:「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」)について 伸之
R5.10.19 社会保険の適用拡大、賃金デジタル払い解禁、育休取得状況公表義務化 ~働き方改革への対応は十分ですか~ 石田
R5.10.2 パワハラの定義と対応(「働き方」に関する労働法制連載) 小澤
R5.9.20 2024年の重大問題-時間外労働に関する法改正と未払残業代請求のリスク 川瀬
R5.9.6 「働き方」に関する労働法制について 山下
R5.8.15 これからの経営者報酬の設計について 桂子
R5.8.1 会社の機関設計 「監査等委員会設置会社」という選択について 桂子
R5.7.1 第6回 所有者不明土地・建物の管理制度 伸之
R5.6.19 第5回 共有物の変更・管理に関する見直し 石田
R5.6.1 第4回 民法の相隣関係の改正について 小澤
R5.5.17 第3回 相続土地国庫帰属制度について 川瀬
R5.5.1 第2回 相続登記が義務化されます!ご注意を 桂子
R5.4.14 所有者不明の土地に関する法律や制度の改正について(第1回) 山下
R5.3.31 財産開示手続について(第2回) 石田
R5.3.15 財産開示手続について 小澤
R5.3.1 自動車に対する強制執行 伸之
R5.2.14 AI(人工知能)と弁護士業務 小澤
R5.2.3 債権回収のセオリー 桂子
R5.1.25 法人破産について(第4回) 山下
R4.12.19 法人破産について(第3回) 石田
R4.12.1 法人破産について(第2回) 伸之
R4.11.15 法人破産について(連載第1回) 小澤
R4.11.1 下請法について(第3回) 桂子
R4.10.17 下請法について(第2回) 川瀬
R4.10.4 下請法について(連載・全3回) 石田
R4.9.21 商標について 4 ~商標とフランチャイズ契約~ 山下
R4.9.5 商標について 3 ~商標・不正競争に関する近時の裁判例の紹介~ 伸之
R4.9.5 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載10 小澤
R4.8.10 商標について 2 ~商標登録手続き、費用の概要~ 小澤
R4.8.2 商標について ~商標とは~ 川瀬
R4.7.25 大家さんが知っておきたい、賃貸経営トラブルへの対処法(連載・全6回)~第6回~) 桂子
R4.7.11 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載9 小澤
R4.6.17 大家さんが知っておきたい、賃貸経営トラブルへの対処法(連載・全6回)~第5回~) 山下
R4.6.2 大家さんが知っておきたい、賃貸経営トラブルへの対処法(連載・全6回)~第4回~) 石田
R4.5.16 大家さんが知っておきたい、賃貸経営トラブルへの対処法(連載・全6回)~第3回~) 伸之
R4.5.2 大家さんが知っておきたい、賃貸経営トラブルへの対処法(連載・全6回)~第2回~) 小澤
R4.4.15 大家さんが知っておきたい、賃貸経営トラブルへの対処法(連載・全6回) 川瀬
R4.4.7 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載8 小澤
R4.4.1 労働審判の手続きで解決できる場合・できない場合とは 桂子
R4.3.28 労働審判手続きでの残業代請求について 山下
R4.3.4 労働審判制度の概要 石田
R4.3.1 紙の約束手形の廃止方針と廃業 小澤
R4.2.15 不正競争防止法における営業秘密保護3 伸之
R4.2.3 不正競争防止法における営業秘密保護2 小澤
R4.1.17 不正競争防止法における営業秘密保護1 川瀬
R4.1.13 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載7 小澤
R3.12.21 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載6 小澤
R3.12.13 賃貸物件の建物明け渡しの強制執行 山下
R3.12.7 子どもの引き渡しを強制的に求める方法は? 桂子
R3.11.26 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載5 小澤
R3.11.16 預貯金債権に関する情報の取得手続について 石田
R3.11.12 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載4 小澤
R3.10.28 給与債権に関する情報の入手手続きについて 伸之
R3.10.15 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載3 小澤
R3.10.11 改正民事執行法~不動産に関する情報取得手続と利用の実情~ 小澤
R3.9.30 民事執行法の改正内容と財産開示手続の利用の実情 川瀬
R3.9.22 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載2 小澤
R3.9.17 環境問題と再生エネルギーその他環境に関する連載1 小澤
R3.9.13 会社法改正に伴う事業報告書の記載事項の変更について 伸之
R3.9.3 社債に関する改正点 山下
R3.8.23 株式交付に関する規定の新設 石田
R3.8.16 土壌汚染対策法の概要 小澤
R3.8.2 会社補償・役員賠償責任保険のルールの新設 小澤
R3.7.20 取締役の報酬に関する規律の見直し 川瀬
R3.7.2 社外取締役を置くことの義務付けについて 伸之
R3.6.7 中小企業とリース契約 小澤
R3.6.1 ハラスメント防止のための社内体制の強化を! ~ハラスメントはどこにでも起こりうる意識をもって~ 山下
R3.5.28 令和に入って初めての会社法の改正~株主総会の運営や取締役の職務執行の一層の適正化~ 桂子
R3.5.18 不正競争防止法を意識していますか 石田
R3.4.26 債権回収の進め方 小澤
R3.4.19 デジタル時代の契約書と文書管理について 川瀬
R3.4.6 身元保証は必要?約束するのなら契約を見直しましょう! 桂子
R3.4.1 情報管理-個人情報保護法改正と情報セキュリティ- 藪内
R3.3.16 スタートアップの資金調達について 桂子
R3.3.3 廃業の前に事業承継の検討を! 伸之
R3.3.3 事業再構築補助金について 小澤
R3.2.18 「最近の正規・非正規の格差解消をめぐる判例」 石田
R3.2.5 アフターコロナを見据えた働き方改革の枠組 山下
R3.1.18 はじめに
ポストコロナに向けて事業見直しの視点~コロナ禍危機下でここからが経営者の勝負どころ~
桂子
R3.12.18 立会人型電子契約に関する論点 藪内
R2.12.10 遺留分減殺請求から遺留分侵害額請求権への改正による影響について 伸之
R2.11.24 コロナ版ローン減免制度について 石田
R2.11.9 若い人も遺言書を作成してみませんか 川瀬
R2.10.27 非接触事故でも、賠償請求ができますか その2 単独事故として処理された場合  山下
R2.10.2 公益通報者保護法の改正について 小澤
R2.9.18 スタートアップ(独立・起業)で大切にしたい商標と商号 桂子
R2.8.25 法務局における遺言書の保管制度が始まりました 伸之
R2.8.10 発信者情報開示請求 石田
R2.7.17 定期金賠償(令和2年7月9日最高裁)について 川瀬
R2.7.13 孤独死後の法律問題 山下
R2.6.11 土壌汚染が疑われる土地売買その他の注意点 小澤
R2.5.26 テレワークの推進に向けて 桂子
R2.5.21 商標等の「商標的使用」は許されるか、-「商標としての使用」を比較して- 伸之
R2.5.18 新型コロナウィルス感染拡大防止対策に関連する個人情報取り扱いの留意点 藪内
R2.5.12 パワハラ防止法について 石田
R2.5.8 事業の継続、廃止に向けた手続きについて 伸之
R2.5.8 新型コロナウイルス感染症と賃料・テナント料 小澤
R2.5.8 新型コロナウイルス感染症と雇用関係 小澤
R2.5.1 賃貸アパート経営における民法改正の影響(連帯保証について) 川瀬
R2.4.2 民法改正による交通事故の損害賠償請求の影響は? 山下
R2.3.2 刑事事件での『司法取引』について~最近の3事案を参考にして~ 小澤
R2.2.19 発明の進歩性判断~「予測できない顕著な効果」~について 桂子
R2.2.13 【配偶者居住権が新設されます】 藪内
R2.1.28 遺産分割の仕方により、相続税総額が違ってくることはご存知ですか。 伸之
R2.1.20 法定相続情報証明制度について 石田

 

最高裁判例⑤自筆遺言に関する最高裁判例のご紹介

遺言は公証人役場に出向く、または公証人に出張してもらって作る公正証書遺言も利用されますが、自筆遺言も大いに利用されています。これは、全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければなりません(民法968条1項)。

遺言はなくなってから権利義務が実現することになるため方式が法律に定められ、本人に確認することはできませんから、法定の作成要件を守らないと方式違反で無効ということになります。遺言がなければ法律の定める通り遺産分けをすることになりますが、遺言が残されていれば、その有効無効を先に決することになり、自筆遺言については残された相続人らの間で争われることが少なくありません。

今回は、控訴審判決を覆した最高裁判決について、ご紹介します。

 

ご紹介する事案では、自筆遺言証書に、真実に遺言が成立した日と相違する日付が記載されているからといって、遺言が直ちに無効となるものではないと、判断されたものです。これを参考に自筆遺言を作成するときの問題を考えてみたいと思います。

 

<事案の概要>

亡くなったAさんは、入院先の病院で、4月13日の日付の遺言の全文、同日の日付、氏名を自書し、退院して9日後の5月10日に、弁護士立ち合いの下、押印しました。Aさんの妻である上告人らが、遺言が成立した日と相違する日の日付が記載されているなどと主張して、Aさんの内縁の妻らである被上告人らに対して、遺言が無効であることの確認等を求めました。

 

<最高裁の判断-令和3年1月18日第1小法廷判決>

原審は、遺言書に真実に遺言が成立したと相違する日の日付が記載されている方式違反により無効であるとしました。これに対して、最高裁は、入院中の日に自筆証書による遺言の全文、同日の日付及び氏名を自書し、退院して9日後(全文等の自書日から27日後)に押印したなどの事実関係の下においては、自筆証書に真実に遺言が成立した日と相違する日の日付が記載されているからと言って直ちにその自筆証書による遺言が無効になるものではない、と判示して、原審に差し戻しました。

 

遺言書に記載すべき日付けについては、遺言における要式行為性を重視し、法律行為としての遺言の成立日はすべての方式を充たした日とする考え方、と、意思表示を重視して全文自書した日の日付を記載すべきとする考え方があるかと思います。これまでも、複数の日にまたがって作成された遺言について、争われたこともありました。

日付の記載を欠いている場合は、方式違反になり無効となることは争いがありませんが、日付の記載はあるものの、誤って遺言成立日と相違する日付を記載した場合にも方式違反により常に無効となるのかも問題となります。

そもそも、自筆証書遺言の方式として、全文、日付及び氏名の自書並びに押印を要件とした法の趣旨は、遺言者の真意を確保することにあり、あまりに厳格に方式を考えなければならないとすれば、意思の実現が難しくなります。書き損じが明らかで、容易に判明する場合は無効とならない余地があります。また、書き損じではなく、遺言の成立日に関する認識が誤っていた場合には、具体的な事情や作成経過を検討しなければならないことになります。

本件で最高裁は、真実遺言が成立した日と相違する日の日付が記載されているからといって遺言が無効になるものではないと判示しており、その上で、高裁に差し戻した理由は「本件遺言のその余の無効事由についてさらに審理を尽くされるため」としています。

 

最近では、法務局で、自筆で作成された遺言書を保管する制度もあります。遺言書の原本と画像データを法務局が保管する(保管期間は遺言者の死亡後50年間、画像は150年間)し、保管された遺言書は家庭裁判所の検認(相続人立ち合いの下、裁判官が開封し、検認の日の遺言書の内容を確認する手続き)が不要です。

遺言者が亡くなると、遺言の存在を相続人などに法務局からお知らせすることもできます。①指定者通知-遺言者が指定した人に遺言書が保管されていることを通知する、通知先は3つまで。②関係遺言者保管通知-死後にだれか一人でも相続人や遺言執行者など利害関係者が閲覧したり、遺言情報証明書を取得したら、全員に通知される制度があり、遺言の実現がスムーズになされるような制度改正がなされています。

 

もっとも、日付をはじめ、要件を充たして、遺言が有効となることが前提ですから、作成するときには、注意を払っていただきたいものです。

やむを得ず、自筆証書で遺言を作成する場合にも、遺言の文言など、内容の実現の確実性など、ご相談いただいた方が望ましいといえます。

(池田桂子)

最高裁判例④労働判例についての最高裁破棄判決のご紹介(令和5年3月10日判決)

今回は、残業手当の支払いにつき、労働基準法第37条の割増賃金の支払いにつき、原審(高等裁判所)の判断(判決)に違法があるとして、これを破棄して、原審へ差戻した判例について、ご紹介します。

 

事案としては、トラック運送業の事例です。被告となっている会社の給与体系では、基本給、基本歩合給、時間外手当の3種類の賃金が支給されていました(旧給与体系)。但し、賃金内訳とは無関係に、日々の業務内容等に応じて、従業員ごとに月ごとの賃金総額が決まっており、賃金総額から基本給と基本歩合給を差引いた残りを「時間外手当」としていました。ところが、労働基準監督署から、残業時間が計算されていないと指摘を受け、以後、時間外手当については、残業時間をきちんと計算をして支払い、時間外手当の問題はクリアしたかに見えました。しかし、結局は、旧給与体系で払っていた賃金総額の枠は変わらず、旧給与体系で計算上の残りが「時間外手当」とされていたものが「調整金」という名目の賃金に変わっただけのことでした。すなわち、毎月の労働時間が増えて、時間外手当が増えてくれば、調整金は少なくなり、逆に、労働時間が少なくなれば、時間外手当が少なくなり、調整金が増えるだけで、合計金額は変わらない(新給与体系)という状況に変わりはなかったものです。

 

原審、原々審は、各賃金項目を個別に検討して、1つずつは問題はなく、適法としていました。しかし、最高裁は、「新給与体系は、その実質について、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される賃金総額を超えて労基法37条の割増賃金が生じないようにすべく、旧給与体系の下においては通常の労働時間の賃金にあたる基本給歩合給として支払われた賃金の一部につき、名目のみを本件割増賃金に置き換えて支払うことを内容とする賃金体系であるというべき」として、この会社の時間外手当の支給について判例上求められる要件、すなわち、

①時間外労働に対する対価として支払われるものであること(対価性要件)

②通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とが明確に判別できること(判別性要件)

をいずれも欠き、割増賃金が支払われたものという原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があると判示しました。

 

最高裁判所の判断は、個々の賃金項目を1つずつ分けて、近視眼的に見るのではなく、全体を俯瞰して判断したものであり、常識的な考え方にも沿ったものと思います。池田総合法律事務所では、残業による割増賃金手当の問題を含め労働問題全般も取り扱っておりますので、お悩みの方は、ご相談下さい。

                (池田伸之)

最高裁判例③トランスジェンダーのトイレ使用制限に関する最高裁判例のご紹介

今回は、トランスジェンダーのトイレ使用制限について、制限を適法とした控訴審判決を覆した最高裁判決(最判令和5年7月11日)について、ご紹介します。

 

1 事案の概要

上告人であるXは、生物学的な性別は男性ですが、性同一性障害である旨の医師の診断を受け、平成20年頃から女性として私生活を送るようになりました。

Xは、自らが勤務している経済産業省に対し、女性トイレの使用等についての要望を出しましたが、Xが執務する階とその上下階の女性トイレの使用については認められなかったため、執務階から2階離れた階の女性トイレを使用していました。

Xは、国家公務員法86条に基づき、人事院に対し、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求をしたところ、人事院は、いずれの要求も認められない旨の判定をしました。

これに対し、Xは、上記人事院の判定は、裁量権の逸脱濫用があり違法であるとして、その取消しを求める訴訟を提起しました。

 

2 第一審、控訴審、上告審の判断

第一審は、「Xが専門医から性同一性障害との診断を受けている者であり、その自認する性別が女性なのであるから、本件トイレに係る処遇は、Xがその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることという重要な法的利益を制約するものであり(中略)違法の評価を免れない。」として、人事院の判定を違法と判断しました。

これに対し控訴審は、「自己の性別に関する認識(性自認)とは、あくまでも、基本的に個人の内心の問題であり、自己の認識する性と異なる性での生き方を不当に強制されないという意味合いにおいては、個人の人格的な生存と密接かつ不可分なものといい得るとしても、これを社会的にみれば、戸籍上(ないし生物学上)の性別は、民法に定める身分に関する法制の根幹をなすものであって、これらの法制の趣旨と無関係に、自由に自己の認識する性の使用が当然に認められることにはならない。」として、人事院の判断を適法としました。

これに対し最高裁は、「本件の事実関係のもとでは、本件判定が行われた時点では、Xにトイレ使用制限による不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきであり、人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、Xの不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平ならびに能率の発揮および増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。」とし、「職場での女性用トイレ使用に制限を設けないこととする処遇の措置要求(国家公務員法86条)を認めなかった人事院の判定につき、裁量権の逸脱濫用があり違法となるというべきである。」として控訴審の判断を覆し、人事院の判定を違法と判断しました。

 

3 おわりに

上記最高裁判決の結論は、自己の認識する性に基づいて社会生活を送る利益に配慮した判断として注目を集めました。また、令和5年6月23日には、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(LGBT理解増進法)が施行されています。

このような中、企業は、他の従業員に配慮をしつつも、従業員のアイデンティティの多様性に配慮し、より良い就業環境を整備することが一層求められます。

(石田美果)

最高裁判例紹介②

(最高裁令和5年10月26日決定:遺言により相続分が無いと指定された相続人は,遺留分侵害額請求権を行使した場合には,特別寄与料を負担するか)

 

1 最高裁令和5年10月26日決定の事案の概要

今回取り上げる最高裁令和5年10月26日は,特別寄与料についての最高裁の判断の一つです。

この判例の事実関係は次のようなものでした。

Aさん(=被相続人)が令和2年6月に死亡し,Aさんの相続人はAの子であるBさん及びCさんでした。

Aさんは,生前にAさんの遺産すべてをBさんに全部相続させる内容の遺言書を残していました(Cの相続分は無い)。

そこで,Aさんが死亡した後,CさんはBさんに対して遺留分侵害額請求権を行使しました。

この事実関係のもとで,Bさんの妻Dさんが特別寄与料の請求をCさんに対して行いました。

最高裁の決定文からは詳細な親族関係は分かりませんが,Aさんは配偶者に先立たれており,法定相続人が子どもであるBとCのみでした。そして,おそらくAさんはBさんとDさんご夫婦と同居して,DさんがAさんの介護をしていたので,AさんはBさんに全てを相続させるという内容の遺言書を残しました。

これに対して,遺言書で何も相続できないとされたCさんが,Bさんに対して遺留分侵害額請求権を行使したところ,DさんがCさんにAさんの介護をしていたことを理由として特別寄与料を請求した事案と思われます。

 

2 特別寄与料とは

特別寄与料という制度は,民法改正に伴い,令和元年(2019年)7月1日に導入されています(民法1050条)。

特別寄与料制度は,相続人ではない被相続人の親族が被相続人の療養看護に務めるなどの貢献を行った場合に,貢献をした者が,貢献に応じた額の金銭(特別寄与料)の支払を請求できるとする制度です。

具体的には,

・相続人以外の被相続人の六等親内の血族,配偶者,三親等内の姻族が,

・無償で療養看護その他の労務を提供し,

・被相続人の財産の維持または増加したという

・特別の寄与をしたことに対し,

・相続人の一人または数人に対して特別寄与料の支払いを請求する

という制度です。

例えば,夫の母親の介護を自宅で行っていた配偶者(妻)のような場合が想定されており,配偶者は夫の母親(=被相続人)の法定相続人ではありませんが,有料介護サービス並の療養看護をしていたのであれば,有料サービスの利用料分は夫の母親の財産は減少しなかった(=維持された)ので,それを特別の寄与として,夫の母親(=被相続人)の法定相続人(夫の兄弟など)に対して特別寄与料を請求できるとするものです。

今回ご紹介する最高裁令和5年10月26日決定の事案は,Dさんが遺留分侵害額請求権を行使して一部の遺産を取得することになるCさんに特別寄与料の負担を求めたことに対して,Cさんは遺留分侵害額請求権を行使すれば特別寄与料を負担しなければならないのかが争点となった事案でした。

3 最高裁令和5年10月26日決定

(原審の判断)

原審は,相続人が複数人いる場合には,各相続人は特別寄与料を法定相続分等に応じた額を負担するので,遺言により相続分が無いものと指定された相続人は特別寄与料を負担せず,遺言により相続分が無いものと指定された相続人が遺留分侵害額請求権を行使したとしても特別寄与料は負担しない,としました。

これに対して,遺留分侵害額請求権を行使した相続人は,特別寄与料について遺留分に応じた額を負担すべきとして許可抗告が申立てられ,最高裁は次のように判断しました。

(最高裁利和5年10月26日決定)

最高裁は,「遺言により相続分がないものと指定された相続人は,遺留分侵害額請求権を行使したとしても,特別寄与料は負担しない」としました。

その理由としては,民法1050条5項(相続人が数人ある場合には,各相続人は,特別寄与料の額に第900条から第902条までの規定により算定した当該相続人の相続分を乗じた額を負担する)は,相続人が数人ある場合における各相続人の特別寄与料の負担割合について,相続人間の衡平に配慮しつつ,特別寄与料をめぐる紛争の複雑化,長期化を防止する観点から,相続人の構成,遺言の有無及びその内容により定まる明確な基準である法定相続分等によることとしているものの,同項は遺留分侵害額請求権の行使を定めておらず,そうであれば1050条5項の負担割合が法定相続分等から修正されないためとしています。

 

最高裁は,特別寄与料の負担割合について,遺言書などで定められた相続分に従うのであって,1050条5項が調整条項などを定めていない遺留分侵害額請求権の行使があっても負担割合は遺言書などで定められたとおりのままであるとしています。

この判例の事例であれば,Dさんは遺留分侵害額請求権を行使したCさんに対して特別寄与料を請求できないことになります。

 

相続の分野も民法改正などによって制度が変化していっています。

相続や遺言などでお困りの方は,池田総合法律事務所にご相談ください。

(小澤尚記(こざわなおき))

最高裁判例紹介① (遺贈放棄後の相続財産の帰属)

私たち弁護士が様々な紛争、トラブルの相談を受けたとき、まずは、法律上、どのように規定されているかを考えます。しかしながら、法律は一般的、抽象的な規定がなされていますので、具体的な事案でどのように考えるべきか(解釈するか)悩むことがあります。そんなときに参考になるのが、裁判所の考え方、特に最高裁判所の考え方です。ある法律の規定に関する解釈について、最高裁判所が既に見解を述べている場合、実務はそれを前提に動きます。そして、最高裁判所の見解は、具体的な事案に対する判決の中で示されます。

 

本コラムでは、今後6回にわたり、令和4年から令和5年に出された最高裁の判決の中から、一定の法律解釈が示されているものを1つずつ紹介します。

 

第1回で紹介するのは、最高裁令和5年5月19日判決(判例タイムズ1511号107頁)です。遺言による贈与(遺贈)が放棄された場合の相続財産の帰すうが問題となった事案です。

 

事実関係は以下のとおりです。(後の説明で特に関係がある箇所に下腺を引いています)

主な登場人物は、夫であるAと妻であるB、その間の子CとD、Cの子EとDの子Fです。

平成20年6月にAが亡くなりました。法定相続人の一人であるDが相続放棄をしたことから、Aが生前に所有していた土地(本件土地)を、BとCが2分の1の割合で共同相続しました。

その後、平成21年7月に、Bは、Bの一切の財産を、Dに2分の1の割合で相続させるとともに、Dの子Fに3分の1の割合で遺贈し、Cの子Eに6分の1の割合で遺贈する旨の公正証書遺言(本件遺言)を作成しました。

平成23年1月、Cは、BとCとの間でCが本件土地を取得する旨の遺産分割協議が成立したという内容の遺産分割協議書を利用して、本件土地の所有権をCに移転する登記をしました。しかし、この遺産分割協議は、Bの意思に基づかない無効なものでした。

平成23年2月にBが亡くなりましたが、Eは、Bの死亡後、本件遺言に基づく遺贈を放棄しました。

平成23年6月、Cは本件土地を第三者に売却し、所有権移転登記をしました。

 

 

 

 

 

 

この判決の中では、本件遺言の遺言執行者が、本件土地についてなされた登記の抹消を求める訴えを起こせるかなどの点が主たる争点の1つとなりましたが、今回は、判決の中で述べられている別の争点「Eが遺贈を放棄したことにより、本来、Eが受けるはずであった相続財産は誰に帰属するか」という点の紹介をします。

この点について、民法の995条は以下のとおり規定しています。

(遺贈の無効又は失効の場合の財産の帰属)

第995条 遺贈が、その効力を生じないとき、又は放棄によってその効力を失ったときは、受遺者が受けるべきであったものは、相続人に帰属する。ただし、遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、その意思に従う。

 

つまり、Eが遺贈を放棄した場合、受遺者であるEが受けるべきであったものは、原則として相続人に帰属することになります。

一方で、民法990条は以下のとおり規定しています。

 

(包括受遺者の権利義務)

第990条 包括受遺者は、相続人と同一の権利義務を有する。

 

この規定によると、包括受遺者は相続人と同一の権利義務を有することになりますので、民法995条に定める相続人にも包括受遺者が含まれるのか(本件でいうと、Eが放棄した分がFにも帰属するのか)、学説上争いがありました。

 

この点について、本判決は、「包括受遺者は、相続人と同一の権利義務を有する(同法(引用者注:民法のこと)990条)ものの、相続人ではない。同法995条本文は、上記の受遺者が受けるべきであったものが相続人と上記受遺者以外の包括受遺者とのいずれに帰属するかが問題となる場面において、これが『相続人』に帰属する旨を定めた規定であり、その文理に照らして、包括受遺者は同条の『相続人』には含まれないと解される」と述べ、包括受遺者は、民法995条の「相続人」には含まれないという見解を明らかにしました。

 

以上より、今後の実務は、受遺者が遺贈を放棄した場合、受遺者が受けるべきであったものは相続人に帰属することを前提に動くことが想定されます。もし、このような扱いをしてもらいたくない場合、例えば、本件でEが遺贈を放棄した場合、EがもらうべきであったものはFに遺贈したいと考える場合には、そのように遺言に明記すべきこととなります(民法995条ただし書き)。

 

せっかく遺言書を作成したのに、思っていたように遺産を渡すことができなかったとならないよう、悩む場合には専門家に相談をしましょう。

(川瀬 裕久)

公正取引委員会『労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針』について

独占禁止法は優越的地位の濫用(2条9項5号)を規制し,下請法(下請代金支払遅延等防止法)は買いたたきも規制しているところです。

そして,公正取引委員会は,受注者から発注者への労務費の転嫁にフォーカスをあてた『労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針』(https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/romuhitenka.html)を令和5年11月29日,公表しています。

この指針では,公正取引委員会は,公正な競争を阻害するおそれがある場合には,独占禁止法及び下請法に基づき『厳正に対処』していくと表明していますので,今後の発注者・受注者との事業者間取引では注意を要します。

要点は,

①発注者は経営トップレベルで価格転嫁を受け入れる方針を決めて対応していくこと

②発注者は,受注者から労務費上昇分の取引価格の引き上げを求められいなくても,業界の慣行に応じて1年に1回や半年に1回など定期的に受注者との協議の場を設けること

③発注者は,労務費の上昇の資料を受注者に求める場合は,公表資料(最低賃金の上昇率,春闘の妥結額等)に基づき,受注者が公表資料を用いて提示して希望する価格は合理的な根拠があるものとして尊重すること

です。

受注者側は,上記の発注者側の反面になるのですが,指針では国・地方公共団体等の相談窓口に相談するなどして積極的に情報を収集して発注者との交渉に臨むこと,と記載されています。また,上記の指針では,コスト上昇分の価格転嫁についての特別調査の結果をもとに各業種の取組事例を紹介しています。

 

賃金の上昇は,政府が推進していることではありますが,発注者にとっても,受注者にとっても容易ではないものです。

労務費の転嫁等の取引条件等で困っている事業者の方は,池田総合法律事務所にご相談ください。

(小澤尚記(こざわなおき))

副業・兼業 これからの働き方を使用者側の立場から見てみると

会社の就業規則によって社員・従業員の副業を制限したり、禁止したりしている企業がこれまでは大半であったと思いますが、新たな技術開発やキャリア形成につながるという観点から、考え方を転換し、副業を認める企業も少しずつみられるようになりました。

 

本業以外に従事する仕事(副業)から収入を得ることは、そもそも法律(憲法22条の職業選択の自由)は禁止していません。原則的には、労働契約に拘束される以外の時間で副業を行うことは個人の自由です。それを拘束しているのは、会社の就業規則の規定で、勤務中は職務に専念する義務(職務専念義務)や職務上知り得た秘密を守る義務(秘密保持義務)、競業する他者に雇用され、在籍している会社の利益を不当に侵害してはいけない(競業避止義務)などが規定され、場合によっては懲戒処分の対象となる可能性があります。

裁判例では、労働者が労働時間以外の時間をどのように利用するかは、基本的に労働者の自由であり、各企業において、制限することが許されるのは、

①労務提供上の支障がある場合

②業務上の秘密が漏洩する場合

③競業により自社の利益が害される場合

④」自社の名誉や信用を損なう行為や信頼関係を破壊する行為がある場合

に要約されます。

 

企業の副業解禁の動きは、最近、起業が珍しいことではなくなり、また、社員の次の人生のステージの準備としても有効なことが意識され始めたこともあって、企業としても、消極的に考えるばかりではなく、社内での複数の分野に跨る活躍以上に有用な社員の能力開発の方法として、積極的に捉える考え方もみられます。

副業・兼業の形態も、正社員、パート、アルバイト、会社役員、起業による自営業主など様々です。

 

厚生労働省は、2018年(平成30)1月にモデル就業規則を改定し、「労働者は、勤務時間外において、他の会社等の業務に従事することができる」としています。

 

副業を認めている企業の多くは、副業を始めるにあたって事前に会社からの許可が必要であると定めています。申請書を提出し、会社から許可を受けるということになります。会社としては、副業先の事業主名や業務内容、想定される業務時間の記載を求めるということになります。その際、長時間労働等によって労務提供上の支障がある場合には、副業・兼業を禁止または制限することができる様にしておきます。厚生労働省の「副業・兼業の促進に関するガイドライン」の合意書の様式例などを参考にされるとよいと思います。

また、業務上の秘密漏洩についても注意喚起が必要です。

労働基準法では、労働時間は事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算すると規定されています(同法第38条1項)が、事業主を異にする場合も同様です。

労働者が使用者A(先契約)に加えて、使用者B(後契約)で副業・兼業を行う場合、使用者Aでの法定労働時間(1週40時間、1日8時間を超える労働時間)と使用者Bでの労働時間を合計して、単月100時間未満、複数月平均80時間以内となるように、各々の使用者の事業所における労働時間の上限をそれぞれ設定します。使用者Bは、使用者Aでの実際の労働時間にかかわらず、自らの事業場の「労働時間全体」を「法定外労働時間」として、割増賃金を支払います。それぞれがあらかじめ設定した労働時間の上限の範囲内で労働させる限り、他の使用者の下での実労働時間を把握する必要はありません。以上のように、厚生労働省の労働時間の「管理モデル」では、労使双方の負荷軽減が示されています。

言うまでもないことかもしれませんが、そもそも、顧問、理事等の就任には労基法が適用されませんし、労基法は適用されるものの労働時間規制が適用されない、農水畜産業、管理監督者、高度プロフェショナル制度などもあります。

 

副業・兼業の開始後、企業としては、社員・従業員から報告を求め、健康管理に問題が認められるような場合に適切な措置を取るなど安全配慮義務があることも忘れてはならない点です。

また、副業先での社会保険の適用要件を満たしているときは、副業先でも加入義務が生じます。保険料については、各企業で案分して計算する必要が出てくると考えられます。

 

やる気のある社員・従業員に制限をかけることは退職を促すことにもなりかねません。副業・兼業に関してポジティブな社員・従業員の声があるとすれば、企業側も検討してみてはいかがでしょう。

社員・従業員の雇用施策で課題を感じられる場合には、お気軽に池田総合法律事務所ご相談ください。

 <池田桂子>